道場スピリット マネージャー・北原希代子 作
#29ブレイクタイム4 北原、倒れそうになる!

道場はバブル景気の頃、五百万もの手付を打った物件を流した経験がある。バブルの頃は、そうした話が次から次へと比企を切らなかった。でも、そうした儲け話に乗らなかったからこそ、いまの道場があるのだと傍で仕事をしていて、何時も実感する。
何年か前からか、御節料理が家庭の手作りからお店の味へと変化して、いまではお取り寄せが主流に成りつつある。道場にも、これまで百貨店を始め色々な方面から御節の依頼を頂いているが、道場はかたくなに断って来た。だからと言って店で御節を作らない訳ではない。お世話になった方々やご贔屓さんに差し上げる御節は拵えている。それも最近では、カラスミ香煎や塩辛など酒の肴を瓶詰にしたものに変えているが、売り物にはしていない。道場が御節を拒む表向きの理由は、「店の従業員たちを暮れのぎりぎりまで働かせたくない」と言う思いと、「お正月には心配事なしに、美味しいお酒が飲みたい」と言う思い。どちらもいまのように冷凍技術が発達していない昔の話なのだか、何かそこには道場だけにしか分からない別の拘りがあるように思う。

 

道場の瓶詰

 

七~八年前になるだろうか、懐食みちばのご贔屓さんの口利きで百貨店の御節を引き受けることになった。道場は、最初からあまり気のりはしていなかったのだと思うが、百貨店の関係者も入れて献立会議が開かれ、最新の冷凍技術を備えた信頼のおける友人の工場に制作を依頼。見本も出来て、関係者全員で味見をすることになった。ここまで漕ぎ着けるのに何カ月かかったことか、道場もこれならばと納得してGOを出した。
明くる日出社すると間もなく、道場から電話がかかってきた。「昨日は、お疲れ様でした」と私が言いかけると「北原さん、悪いけど昨日の話断ってくれる」と、いつもの調子で静かに言った。私は「ええ!」と一瞬言葉を飲み込んだが、道場が一度口に出した言葉は絶対に翻さないのを誰よりも知っているのは、この私である。すぐに「分かりました」と答えて受話器を置いたが、正直、倒れそうだった。
しばらく落ち着いて、どのように収めようかと考えてみたが、道場が断われと言う以上お断りするしかない。もともと懐食みちばの女将(道場の次女)からの話なので、女将から断ってもらうのが筋だろう。電話で道場の言葉を告げると女将も言葉を失っていた。契約書こそ交わしていなかったが、ここまで話が進んでいる以上、何もなしに無かったことには出来ない。
結局、関係者の方々にお詫びを入れて許して頂いたが、どなたからも再考を促されることが無かったのは、道場の生き方にある種の潔さを感じたからかも知れない。

 

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