道場スピリット マネージャー・北原希代子 作
#19雰囲気を読む天才

ある朝、道場から電話がかかり「はい、道場事務所です」と、いつものように受話器を取った。「北原か!」「はい、お早うございます」と、これまで何百回となく繰り返された遣り取りだったが、その日の道場は私の声を聞くなり「北原、大丈夫か?何かあったか?」と尋ねてきた。私は思いがけない言葉に、はっとしながら「大丈夫です、ありがとうございます」と言ったが、確かに心配事は抱えていた。声のトーン一つで相手の抱えているものまで見えてしまうのかとびっくりしながら、その優しさに感謝した。
五年ほど前だろうか、ある日ふらっとお店を訪れた道場は、何か思い付いたのか調理場へ入って仕事をし始めた。それは時々あることで、新しい料理を思い付くとフラッと立ち寄り、試作をしてみる。小一時間居ただろうか、試作を終えた道場は、お茶を美味しそうに飲んでから「じゃぁー」と言って立ち上がった。
いつものようにエレベーター前で調理場の人たち全員で見送ると、突然、若い板前の一人に声をかけた。「おまえ、辞めちゃーだめだよ!頑張れよ!」と、言って道場はエレベーターに乗り込んで行った。言われた本人も驚いたと思うが、「辞めたい」と告げられていた料理長は驚愕した。道場に言いだせないでいたのは、料理長自身だからだ。
最近では、テレビの仕事も減ったが、「料理の鉄人」以後、料理人もタレントの仲間入りをしたように、料理番組以外でもよくテレビに呼ばれるようになった。依頼を頂くと一通り番組の内容や台本などチェックして道場に伝えるのだが、その場でこうして欲しい、ああして欲しいと別の要望を受けることも少なくない。道場はよっぽどでない限り、担当者に嫌な顔はしないが、いよいよとなると「北原!!!お前、分かっていて、こんな仕事受けたのか!!」と、私に対して大きな声を出してみせる。最初は私も大きな声で怒鳴られて落ち込んだが、これは道場のパフォーマンスだと分かるのにそう時間は掛からなかった。叱られているのは私なのだが、担当者の態度が一変するからだ。
現場で担当者を怒鳴れば、あとの仕事に差し支えるが、自分のマネージャーを怒鳴ったところで内々の話で収まるからだ。

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